【体験談】親が認知症になったら。気づきから介護保険、看取りまでの2年間全記録

介護・終活

私の父は、80歳を前に認知症になりました。最初の小さな異変から、受診、介護保険の申請、そして看取りまで——およそ2年間の記録を、この記事に残します。

当時の私は何もかも初めてで、「どこに相談すればいいの?」「病院は何科?」「本人にどう接すれば?」と、検索してばかりの日々でした。だからこれは、あの頃の私と同じように、親の変化に戸惑っている方へ向けた記事です。つらい話も含まれますが、「相談してよかったこと」「もっと早くやればよかったこと」を、できる限り具体的に書きます。

最初の異変:「駐車場で車を探し続ける父」

始まりは、よくある物忘れでした。いつも携帯や財布や鍵を探している。同じことを何度も聞いてくる。「年のせいかな」と思っていました。父は糖尿病があり、心臓の大きな手術もしていて、コロナ禍の自粛生活で刺激が減っていた時期でもありました。

決定的だったのは、母からの電話です。「お父さんが買い物に出かけたけど、車をどこに停めたか分からなくなったみたい」。駆けつけると、8階まである商業施設の駐車場を、うろうろと歩き回る父の姿がありました。その後ろ姿を見て、「病院に連れて行こう」と決めました。

このとき見逃していたサインは、他にもいくつもありました。帰省で親に会う方に向けてまとめています:親の認知症サイン8つ|車ですぐの距離でも見逃した話

受診:何科に行けばいい? 本人をどう連れて行く?

私は脳神経外科の予約を取りました(後から地域包括支援センターで教わったのですが、認知症の相談は精神科か脳神経内科が適しているそうです。結果的に診てもらえましたが、これから受診する方は参考にしてください)。

一番心配だったのは「本人を何と言って病院へ連れて行くか」でした。プライドを傷つけずに済むだろうか、と。実際には、父はあまり分かっていないのか、すんなり付いてきてくれました。問診では「ボケている自覚はありません」と答える父。MRIと聞き取り検査の結果は、聞き取り検査はかろうじて合格点、しかし海馬の萎縮がかなり進んでいるとのことでした。

進行を遅らせる薬についても相談しましたが、「副作用で心臓に負担がかかる」「5年間飲み続けて進行が2ヶ月ほど遅れる程度」という説明を受け、心臓に持病のある父は服用しない選択をしました。

診断がついたこと自体は、悪いことばかりではありませんでした。「認知症だと分かったことで、もやもやが消えて、これからの過ごし方・付き合い方を考えられるようになった」——当時の私は、そう感じていました。

診断後の日々:失敗から学んだ接し方

最初にやった失敗:「優しさの虐待」

病院の帰り、私はすぐ本屋に寄って、間違い探しなどの「認知症予防ドリル」を買って父に渡しました。少しでも進行を遅らせたい一心でした。——父がそれを開くことは、一度もありませんでした。

あとから知ったのですが、こういう行為は「優しさの虐待」と呼ばれることがあるそうです。家族は良かれと思っていても、本人には「できなくなった自分」を突きつける負担になる。今思い出しても、申し訳なかったなと思う失敗です。

教わって心がけたこと3つ

  • 昔話を聞く。最近のことは忘れても、昔のことはよく覚えています。父も子どもの頃の話は生き生きと話しました。相槌を打ちながら聞くだけで、穏やかな時間になります
  • 否定しない、怒らない。出来事は忘れても「怒られた」という負の感情は残り、ストレスが症状を悪化させることがあるそうです。頭では分かっていても、日常では難しい日もありましたが…
  • 共感する。記憶が自分に都合よく置き換わっていることもあります。「違うよ!」ではなく「そうなの?」「へえ」と受け止める

そして、これは声を大にして言いたいのですが、一番大変なのは同居している家族(うちの場合は母)です。本人のケアと同じくらい、支える側のケアが必要でした。母は次第に、二人だけの生活に閉塞感を抱えて疲れていきました。

家族だけで抱えきれなくなり、地域包括支援センターへ

父はいつも何かを探し、耳も遠くなり、補聴器は嫌がって使わない。探し物ブザーをプレゼントしても使ってくれない。徘徊などが始まる前に手を打ちたい——そう思って、母と一緒に地域包括支援センターに相談へ行きました。

ずっと地元に住んでいながら、その存在を初めて知りました。結論から言うと、行って本当によかったです。不安しかなかった気持ちが少し軽くなり、介護保険申請という次の道筋も見えました。「まだ大丈夫」と思っているうちに行くのがおすすめです。詳しくは別記事にまとめました:親の認知症、地域包括支援センターに相談したら気持ちが軽くなった話

介護保険の申請:5ヶ月止まった末に、要介護3以上の認定

介護保険の申請は、実はすんなり進みませんでした。意見書を書いてくださる医師まで見つかったのに、「本人がボケ扱いされて怒るのではないか」という怖さで、5ヶ月も止まってしまったのです。母も「もう波風を立てたくない」と消極的になっていました。

再開のきっかけは、症状がまた一段階進んだと感じたこと。家族で相談して手続きを進め、認定結果は要介護3以上。想像していたより重い認定でした。もっと早く動いていれば、と思います。申請の具体的な流れと、止まってしまった経緯はこちらに書きました:親の介護保険申請の流れと期間|家族の迷いで5ヶ月止まった話

認定後は、デイサービスの利用と福祉用具のレンタルが始まりました。ようやく母の負担が減らせる、と思った矢先でした。

お金のことで調べたこと:家族信託は「うちには不要」だった

認知症について調べていると、「認知症になると預金が下ろせなくなる」「家が売れなくなる」という情報が次々と出てきて、不安になった時期がありました。家族信託や成年後見制度についてかなり調べた結果、わが家は「不要」という結論に至りました。財産の規模によって答えが変わる話なので、検討の過程を別記事にまとめています:家族信託は「うちには不要」と判断した理由

突然の入院、そして看取り

デイサービスを使い始めた矢先、父はコロナに感染し、入院することになりました。快方に向かえば退院できると思っていました。しかし父は次第に食事がとれなくなり、会話もままならず、眠ったまま目を覚まさない時間が増えていきました。

「なぜ? なぜこんなことに…」と思いながら聞いた検査結果は、脳にグリオーマ(膠芽腫)の疑いがあるというものでした。詳しい検査や手術は、高齢で持病があることから断念せざるを得ませんでした。そのまま、緩和ケアのある病院へ転院しました。

緩和ケア病院では、本当に丁寧に、温かく接していただきました。ただ治療は行わないため、日に日に痩せていく父を見るのは、胸が締めつけられる思いでした。食事がとれなくなってから約3ヶ月、父は点滴だけで命をつなぎ、家族に見守られながら静かに旅立ちました。

今だから言えることですが、あの3ヶ月があったおかげで、家族は心の準備ができました。反応はなくても話しかけることができて、最後のお別れの時間を持てたことは、良かったと思っています。

そして見送った後には、想像以上の「手続きの山」が待っていました。その全記録はこちらにまとめています:親が亡くなった後の手続き全記録|順番・期限・一番大変だったこと

2年間を振り返って、同じ道を歩む方へ

  • 「まだ大丈夫」のうちに相談してください。地域包括支援センターは無料です。私たちは相談して初めて、進むべき道筋が見えました
  • 介護保険の申請は先延ばしにしないでください。わが家は迷って5ヶ月止まり、サービスを使い始めた矢先に入院となりました。「使える時間」は思っているより短いかもしれません
  • 本人のプライドを大切に。ドリルを渡すより、昔話を聞くこと。正すより、共感すること
  • 支える家族(特に配偶者)のケアを忘れずに。一番近くにいる人が、一番すり減ります
  • お別れの時間は、つらいだけのものではありませんでした。もしご家族が同じ状況になったら、話しかける時間を大切にしてほしいです

認知症は治らない病気で、いつまで続くか、どんな速さで進むかも分かりません。不安の中にいる方が、この記録から「次の一歩」を見つけてくださったら、父も喜ぶと思います。

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